人生の目的と目標(人生の通過点②)
子どもたちや保護者によくしてきた話です。
サッカー女子日本代表のなでしこジャパンが、2011年のワールドカップで金メダル(世界一)を獲得した時、取材に対して「ワールドカップの優勝は単に通過点(目標)で、真の目的は日本の女子サッカーをメジャーなスポーツにしたいんです」とコメントしていました。
iPS細胞の開発に成功し、ノーベル医学生理学賞を受賞した山中教授は「iPS細胞への挑戦は、多くの難病に苦しむ患者を救うためである」と述べていました。この場合、iPS細胞の実用化は、通過点(目標)であり最終的なゴール(目的)は「患者の救済」ということになります。
例えば、中学校卒業後の進路を考えるとき、自分の人生の目的と目標について考えてほしいのです。高校等への進学は通過点(目標)でありゴール(目的)ではありません。合格すれば人生が成功すると決まったわけではないのです。また、反対もしかり。
中学生なりに自分を見つめ、得意なことや将来やってみたいことを考えたり、何のため誰のためにどのようにして生きていきたいのかという生きることの目的を考えたりすることを大切にしてほしいのです。それは進路本番を迎える3年生だけに限った話ではなく、普段から学校生活において、勉強を頑張ることやスポーツに打ち込むことなどの目的と目標について考えていく機会をもつことは、人として成長していく上でとても重要なことなのです。
*大学入学共通テスト初日となる1月15日(土)、試験会場の東京大学前で、高校2年生による殺傷事件が発生しました。詳細は分かりませんが「成績が振るわず東大医学部への進学が難しくなったから」と供述しているそうです。また、テスト会場においてテスト中に不正行為が行われたというニュースもありました。当人たちにとっては、大学入試が人生をかける程のものだったのかもしれませんが、大学に入ること自体を人生の目的(ゴール)と捉えてしまったのではないかとも思えるです。2人とも将来有望な若者だったと思うと残念でなりません。
人生の通過点
人生の通過点
進路指導が本格化するにあたり、生徒たちに将来の夢や希望について問うことを大切にしています。10代半ばの生徒たちにとって、自分の将来を考えることは容易(たやす)いことではないことは承知しています。例え考えることができたとしても、将来その通りの生き方をしている(職業についているなど)ということは決して多くないでしょう。しかし、具体的に進路を考えていくときに、将来、どのような人生を送りたいのか、それは何のためなのかなど、将来の人生について考えを巡らす機会をもつことは、とても大切なことだと思っています。
高校受験では、多くの生徒が人生で初めて「選ばれる」立場になります。残念ながら毎年何人かの生徒は、第一志望が叶わず第二志望や第三志望に進むことになります。当然、周囲の大人も、できるだけそのような思いをさせないように、慎重かつ丁寧に進めていきます。しかし、世の中には、どんなに願っても叶わないことがあるのだということを知ることも、進路決定の厳しさだと言えます。涙する姿や悲しみに耐える姿を見るたびに、その経験を糧に強く逞しく頑張っていってほしいと祈るような気持ちになります。
入試の結果が出る前に、生徒たちに伝えてきたことがあります。それは、例え第一志望が叶わなかったからといって、その人の人生が失敗だったとか、そこで終わりだということには決してならないということです。高校進学は、一つの目標であり、人生の通過点にしかすぎません。当初思ったのとは違う道をたどることになったとしても、将来、充実した人生を過ごすことができるかどうかが重要です。生きていくことは、長い道のりを歩んでいくことです。年齢を重ねて自分の人生を振り返った時に、辛かったこともあったけれど、「あの時の経験のお陰で今の自分がある」と胸を張って言えるような生き方をしてほしいと願っています。
トラブルに強い学校になろう②
トラブル対応は学校づくりの根幹 ~問われる学校の総合力~
トラブルに強い学校とは、トラブルが起きたときの対応力(解決に向け組織的に取り組んでいく力など)が高いというだけではありません。日頃から教職員全体がトラブルに対してアンテナを高くもち、早期発見・早期対応により軽微なうちに適切に解決していこうとする危機管理意識及び能力の育成が不可欠になります。多くの場面で、情報の共有化の重視とチームで対応する経験を積んでいくことも大切な要素となります。
さらに言えば、そもそもトラブル発生の可能性の少ない学校づくりを進めることができれば、働く教職員にとっても心身ともに健全な教育活動を進めていくことができるようになっていくものです。結果、子どもたちのよりより学びや健全育成を進めることができるようになり、保護者や地域からの信頼も高っていくことで、トラブルの発生頻度をさらに低減させていくことになるというプラスのスパイラルを生み出していくことになります。
当然、毎年入学してくる子どもたちとその保護者があり、教職員にも人事異動による入れ替わりがあるので、このような学校づくりは一年間頑張れば安心というものではありません。数年間にわたって長く安定して向上していくような学校づくりを継続していく中で培われていくものだと考えるほう正しいと思います。
多くの学校を見てきて感じるのは、トラブルに強いと思える学校に共通している点は、「守り」より「攻め」を旨としていること。過去にとらわれること管理することより、挑戦することや未来を志向しているということ。学校全体に勢いを感じるということなどがあげられます。そして、何よりも明るく元気、意欲的で温かみのある職場(教職員集団)となっているということです。
トラブルに強い学校になろう①
トラブルに強い学校になろう①
増え続ける厳しい保護者対応
学校は、子どもたちを教え育てる場所です。しかし、日々増え続ける仕事とともに、保護者への対応に追われることがとても多くなってきています。保護者との対応の中でも、厳しく(感情的に)様々な要求をしてくる保護者との対応は、教員を疲弊させ、神経を擦切らせ、学校現場をますます荒廃させていくことになります。学校関係者の労働時間の膨大な増加と精神的な疲弊の蓄積は、学校の健全化を阻害するだけでなく、学校の向上の機会を奪っていくことにつながっていくものです。
気になっていること
当然、教師・学校は丁寧に対応する必要があります。不適節な指導や至らなかった点は、隠したり誤魔化したりせず、率直に認め謝るべきところは謝り改善するべきだと思います。とこが、それだけでは、収まらない事案が増えているのです。
憂慮されるのが、わが子可愛さから始まった行為が、いつからか親(大人)の戦いとなり、子どもが置き去りのまま、不毛な戦いが続くことです。
学校と保護者が子どもの成長のために協力する。それが本来の姿にも関らず、肝心な子どもが置き去りにされたまま、「戦い」が長期化していくケースが増えていることがとても気になるのです。このような状況が続くと、巡り巡ってその子も大きなマイナスを背負うことになるのではないでしょうか。
難しい「いじめ」への対応
特に「いじめ」の対応については、子ども同士のトラブルから始まるのにも関わらず、いつしか学校や市教委の責任が問われるようになり、極端な場合、訴訟やマスコミからの追及など、重度化・長期化・複雑化しやすい傾向が、年々強くなってきています。
「いじめ」はどこの学校でもおきていることです。調査でも通常数件から数十件(百を超えるケースも)は報告されており、文科省も「0件の学校が本当にあるのか」と言っている程です。現状、ほとんど全ての学校が「いじめ」事案を複数件抱えているのが当たり前の状況となっています。日々の教育課程の推進や様々な沢山の業務を抱えながら、ただでさえ「ブラック」といわれる中で、何とか厳しい時間をやりくりして、誠意をもって「いじめ」と向き合おうとしているのです。
このような状況が、どこの学校でも起きていること、そして次々に大変な対応に迫られるケースが増えていることが、日本の学校教育の長期的な衰退につながることを、文科省や世間の人々に気づいてもらいたいのです。未だに、法で定める「いじめ」の今日的定義と、「いじめ」という言葉からくる旧来の認識とのギャップも解消されないまま、厳しい状況にさらされるリスクと向き合いながら、ギリギリのところで学校は頑張っているのです。
※教育行政上の改善や配慮、世間の流れが変わるのを受け身で待つだけではなく、まずは積極的にトラブルに強い学校づくりを目指していきましょう。
持続可能は働き方を!
持続可能は働き方を!
〇学校現場では、
「ふと気づくと、日中一回もトイレに行かなかった」
「電話しなければならないのに忘れてしまった」
「空きの時間は生徒指導のために今日もつぶれてしまった」
「授業準備と学級通信は、休日や家での仕事」
「子どものノートにコメントを書けずにスタンプだけで済ませてしまった」
等々ということが日常茶飯事です。年々、学校現場がどんどん忙しくなっています。
〇経験を積むに従い自分の仕事(学級や授業等)だけの状況から、学年・学校全体に
関わる仕事や外部とのやり取り、加えて後進の指導や支援などにも求められるようになっていきます。
〇仕事の処理も早くなり、広がる守備範囲にも対応できるだけの力もついていきます。 心身ともにタフになり多少の無理も利くようになってきます。同時に、忙しさは飛躍的に増していく状況が続いていくことになります。
〇今までの学校は、
「先輩たちも同じようにしてきたのだから自分たちも頑張るしかない」
「学校は忙しいのが当たり前。何かを犠牲にするのは仕方ない」
などと考えて頑張って来たように思います。
〇しかし、これまでの「正解」がこれからも正解であり続けることはありません。今の学校の忙しさは異常です。質・量ともにこれまでとは異なる次元になってきています。やらなければならないことが年々増え続けています。家庭や子ども変化、中でも「いじめ」や「不登校」などへの対応に対する社会的な要求は、学校現場に膨大な負荷をかけるようになりました。一歩間違えば、自分の生活と心身の健康を損ないかねない状況と隣り合わせで仕事を続けていくことが当たり前のような状況となっています。
〇実際に、毎年多くの有用な人材が心を病み現場から離れていっています。学校を魅力ある職場にしていかなければ、多くの未来の学校教育の担い手となる人材をも失っていくことになります。健康を損ない、家族を犠牲にするような人生をすり減らしていくような忙しさは異常です。このような状況が児童・生徒に影響しない訳ありません。
〇働き方改革は待ったなしです。目指すは「持続可能な働き方」です。働き方を変えることは、単に「楽」にするということではありません。仕事の量的な面を見直すとともに、質的な向上を目指してくことが重要になっていきます。これまでの固定的な考え方や、やり方にとらわれず、柔軟な発想で学校での仕事の在り方を変えていくことが求められています。
〇実現していくことは容易いことではありませんが、「集中と選択」「斬新な発想と創造的な企画」「部分幸福的発想から全体幸福的発想」「全員参画型の組織運営」「総力戦から機動戦」「反省思考から希望思考」「レスポンスの向上」など学校全体の組織運営や取り組み全体の抜本的な見直しが必要です。
〇重要なポイントとなるのは「全員参画型の組織運営」です。教職員全員の英知とやる気を結集しながら、これまでの常識にとらわれない思い切った改革を、全員が当事者意識を持てる状況で進めてくことを目指していかなければなりません。
〇働く者が「この学校で働けて良かった」と思える学校づくりを目指すことこそ、「この学校に通って良かった」と子どもたちが思える学校づくりの大切な土台になると思います。