次代を担うみなさんへ  

若手・中堅・管理職、これからの教育・学校を支えるみなさんに伝えたいこと。

「生徒指導は面倒臭くて時間がかかるもの」①

 
「父ちゃんの愛情弁当」より
*弁当持参が当たり前だった頃の大阪。毎日昼休みに息子のお弁当を届けにくる父子家庭のお父さんの話。短縮授業になったことを知らなかった父親が、職員室に怒鳴り込んでくる…。
《Cのお父さんは、毎日昼休みに、校門までCに弁当を渡しに来られます。その日も、Cは校門前でいつものようにお父さんを待っていました。お父さんが学校に着いたとき、いつもは誰もいない校庭で、沢山の生徒たちが遊んでいました。
「なんでみんなもう遊んでんねん?」「きょうは短縮や。あの子らは、もう食べ終わってん」その日は短縮授業のために、昼食時間がいつもより20分早くなっていたのです。「ほんなら、おまえだけ飯をお預けやったんか。先生は、短縮やとなんで教えてくれへんかったんや!」
 お父さんの怒りは、そのまま職員室に持ち込まれました。「俺の子どもを飢え死にさせる気か!」「学校の時間をコロコロ変えたら、親は分からんやろ!」「友達と一緒に弁当食べられへんで、いじめられたらどうしてくれんねん!」など、お父ちゃんの怒りは絶頂に達していました。担任は「行事予定表を配ってあるんやから、事前に短縮の日は分かるはずです。食事が20分程度遅れたぐらいで、何でそんなに言われるのか分かりません!」と主張し、お父さんとの会話は平行線のままでした。
 昼休みも終わり、お父さんは仕事場に戻らなくてはならず、怒ったまま帰ってしまわれました。結局、お決まりのコースで、その苦情は教頭である私が引き受けることになりました》(『普通の教師が”普通”に生きる学校~モンスター・ペアレント論を超えて』小野田正利著(時事通信社)からの抜粋)
○担任は、プリントを配布すれば、読んでもらえてあたりまえと思っていたかもしれません。子どもが弁当を持ってこなかったという出来事に対して、それはその子や家庭の責任だと捉えたのかもしれません。
○それぞれの家庭には様々な都合があるものです。「弁当」の向こうにある家庭の事情や父親の思いを理解することができていれば、違った展開になったと思われます。それが無理だったとしても、「忘れ」の背景に少しでも思いを巡らすことができれば、もう少し違った暖かみのある対応ができたかもしれません。
○担任と父親の話し合いが平行線になってしまったのも、教師が、自分の対応(指導)の正当性を理屈で説明しているのに対して、父親は子どもに対する思いで怒りをぶつけているということです。教師は、理屈(理論)で考え、保護者は思い(感情)で考える傾向が強いものです。教師が、どんなに理を説いても、保護者は簡単に納得するものではありません。却って、ほとんどの場合火に油を注ぐことになってしまうのもこのためです。
○一般的に、保護者が学校に苦情を言ってくる発火点の多くは【自分の子が大切に扱われなかった、嫌な(悲しい)思いをさせられた、理不尽だ、可哀想だ】と感じるようなケースです。
〇教師が、正しいと思ってした指導も、その思いが伝わっていなければ、また、正しさを強調すればする程、親の怒りは高まっていくものです。わが子を思う親の一念を受け止めることも大切ではないでしょうか。
○子どもを指導する上での重要なポイントは、「目に見える事象の向こう側にこそ、大切なものがある」ということです。問題を起こす子の多くが、問題を抱え困っている子であることが多いものです。
○問題行動は、氷山の一角であり、水面下には多くの原因や背景があるものです。まずは、その子やその子の置かれた状況(環境等)の理解から始めることが求められます。
 
※かつて先輩教師から教えられました。「生徒指導は面倒臭くて時間がかかるものと思って丁寧に時間をかけて行うことが大切」であると。簡単に終わらせようとしたり、手を抜いたりすると、後日もっと大変になってしまうものです。結果、却って時間と労力が必要になってしまうものなのです。