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明暗を分けたもの ~東日本大震災から見えてきたもの~

明暗を分けたもの ~東日本大震災から見えてきたもの~
〇以前、(旧)大川小学校を訪れる機会がありました。震災でお子さんを亡くされた父親に案 内してもらいながら話を聞いてきました。翌日、南三陸町語り部からは戸倉小学校の話を聞くことができました。説明を聞いて対象的とも言える当時の二校の様子が心に残りました。
石巻市の大川小学校の悲劇は、マスコミでも度々取り上げられており、多くの方の記憶に残っていると思います。大津波にのみ込まれ児童108人のうち84人、教職員は13人のうち10人が行方不明となってしまいました。一方の戸倉小学校は、高台に避難したことで校内にいた全児童・全教職員が助かっているのです。
〇戸倉小学校では、以前より鉄筋3階建ての校舎の屋上を避難先と決めていたそうです。ところが、東日本大震災の2日前(3月9日)に大きめの地震があり「避難先が校舎屋上でよいのか」と職員会議で議題になったそうです。相当大きな地震だったために、従来のマニュアル通りに屋上へ避難するのではなく、念のために、小学校から離れ、さらに高台へと児童たちを避難させることにしたそうです。すごいと私が思ったのは、マニュアルを見直した翌日には全児童を対象にした避難訓練を実行したということです。その結果が、被害者「0」につながったそうなのです。
東日本大震災当日、戸倉小学校では、地震の揺れが収まったあと校内にいた全児童91人を校庭に集めて、教職員を含む全員が高台に避難したそうです。途中、隣接の保育所の園児21人を引率していた保母さんらも一緒に高台に避難することとなったため、結果的にその方々の命も助かることになりました。
〇その後、押し寄せてきた津波によって校舎の屋上までが水没し、保育所も波に飲まれてしまったそうです。高台に避難していなければ、全児童、保育園児全員が間違いなく亡くなっただろうと言っていました。そうなれば大川小学校を上回る犠牲者が出たかもしれないとのことでした。
 
〇戸倉小学校の場合、東日本大震災の2日前に発生した地震に対して危険を感じ、従来のマニュアルを改善したほうがよいという意見が積極的に発信され、大切なことは皆で直ぐに実行しようという対応をすることができたことを特筆すべきたと思います。
〇垣間見えてくるのは、日頃から先生方の危機管理意識が高かったということにとどまらず、学校で起きる様々な出来事に対して、従来のやり方にとらわれない柔軟な発想やそれを尊重して受け入れながら、よりよくしていこうとする進取の雰囲気があったのではないかと言うことです。加えて、レスポンスよく皆で実践していこうとする機動力や協働性の高さがあったことも、結果的に多くの命を救うことになったと言っても過言ではないと思います。
〇「今まで大丈夫だったから、これからもきっと今までのやり方で大丈夫だろう」「何も苦労して変えたり新しいことを始めたりする必要はない」「誰か(管理職や教育委員会等)が決めてくれるだろう」というような消極的で受動的な職場の雰囲気こそ組織にとって危険だと言えるではないかと思います。(震災当時の大川小の先生方がどうだったということは断定的に言えませんが…)
〇大川小学校で集団から離れ、裏山に一人で避難して助かった先生は、前任校(川の反対側)で安全指導を担当していたそうで、しかも、前任校ではマニュアルを変えた責任者だったそうです。その学校は新しいマニュアルのお陰で沢山の命が助かったということも聞きました。なぜ、その経験は大川小学校では生かされなかったのだろうか…。
〇関係者の言葉や色々な資料を読んだりしてみて、このようなことが透けて見えてきました。学校は命を預かる場所です。児童生徒が安全に登校して安全に帰る。そんなあたりまえを大切にし続けていくためには、どのようなことが重要なのかを考えさせられた貴重な経験となりました。
〇自分の子どもを津波で亡くした父親は、何故このようなことが起きたのか、それぞれの立場で考えてほしいと涙ながらに語ってくれました。間もなく11年目の「3月11日」がやってきます。何年たっても、多くの命が失われたことや地域・関係者の方々の悲しみや苦しみを風化させることなく、震災から学んだことを今後に生かし続けていくことが今を生きる私たちの責務ではないでしょうか。
 
 

 

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