向上する学級(学校)と荒れる学級(学校)
【向上する学級と荒れる学級】
【指導の善し悪しの分岐点】
【どの子も必要な存在であり優れた力を持っている】
【ネガティブフォーカスとポジティブフォーカス】
柔道を通して学んだこと(3)
柔道を通して学んだこと(2)
勝利して素晴らしい結果を残すことより、悔しい思いや辛い思いをすることの方が多いものです。何度挫折しても立ち上がり、前に進み続けることに価値があります。強さも、弱さを受け入れてこそ、本当の強さを身につけられます。柔道を通して学んだことは、人生を支え導く大きな力となります。
5 強さにも色々ある
~「失敗は、あきらめない者にとってのみ成功への道標(みちしるべ)となる」~
6 強くなるとは、人として成長すること
~「実るほど頭を垂れる稲穂かな」~
柔道を通して学んだこと(1)
1 礼に始まり礼に終わる~「挨拶もできない人間に何ができるか」~
○柔道に携わってきた者として、「礼儀」と「礼節」は大切。(「礼儀」とは基本的なマナーや作法のことであり、「礼節」は心を伴って行う礼儀のこと)
○自分も最善を尽くす。相手も最善を尽くす。礼を重んじるのは、相手を敬う気持ちの表れであり、自分の決意の表れでもある。
○相手が強くても弱くても、先輩でも後輩でも礼の重みは同じ。
○たとえ勝者となってもガッツポーズなどをしないのは、相手への敬意と感謝を示すため。
2 一流の柔道選手の前に、一流の人生を目指せ
○そもそも柔道は、勝つことだけが目的ではありません。柔道を通して人生を豊かにすることが目的です。人としての成長あらずして、真の勝者とはないえない。
○稽古は、人間育成でもある。卒業後、柔道を続けても、違う道に進んでも、柔道を通して身につけた力を各自の人生のそれぞれの道に生かしていってほしい。
○たとえ選手になれなくても、試合で結果を残せなくても、人としての成長は財産。人生の勝者にはなれる。結果を残しても、人としての成長がなければただそれだけの人。
3 肝心な所で勝てないのは、根の張り方が足りないから
○通常、3分間~4分間で行われる柔道の試合では、怖いほどその人の生き方(考え方や行動様式)が出るもの。だからこそ、鍛える土台は、日々の生活の中にある。
○勝負強くなるためには、勝負強くなるための思考や言動を積み重ねていくことが必要。普段から「向上する者は、向上するように考え行動する」ものです。
○特に、言葉は「言霊(ことだま)」であり、人を傷つける言葉や周囲のエネルギーを奪う言葉は、自らを傷つけることになるので注意が必要。
○結果を出すためには、しっかりと根を張ること。日々の小さな生活の中での「善行」の積み重ねが特に大切。周囲を大切にできないと、大きな成果は残せない。高い山ほど、広大な裾野を有している。人生の裾野を広げる努力こそ宝。
○部活の向上と学校全体の向上は、一体となるように考え・行動する。自分の部活を強くすることだけを考えていたら、結局、成果はその程度で終わる。学校全体の向上への貢献ができてこそ、真に強い応援される部活になっていく。生徒も人として成長していく。
○様々な才能の中で、周囲に応戦される才能はとても重要。謙虚でいること、努力ができること、周囲への感謝の気持ちや、人の心の痛みが分かる者に、勝利の女神は微笑んでくれる。人を押しのけたり、傷つけたりしてまで自分を優先しようとする人の前を勝利の女神は通り過ぎていく。
4 誰が見ても「勝ち」と判断される試合をする
○敗戦後、審判を批判する姿を見ることが多い。中には恫喝する指導者や感情的に食ってかかる選手の姿も。誰が見ても「勝ち」という試合ができなかったということ。悔しい思いをどのように受け止め、次に何を為すべきかを考え、実行することが向上への道。
○山下泰裕は「例えば体重計の針を右から見るのと、左から見るのとでは見え方が違うように、試合も審判によって見え方が違うのが当たり前。だから誰が見ても『勝ち』というところまで強くならなければならない」と言っています。
○まして、審判を批判することは何を生むのか。一日を通して、1年を通して大会関係者からも、あの選手・チームは素晴らしいと信頼されるような振る舞いができるような心を育てることが大切なのではないか。
「心を育てる」ということについて
勉強やスポーツとともに、それを生かすことのできる心を身につけていくことで、未来を担う存在として逞しく育っていくのだと思います。学力や体力とともに、心を育てるという意識こそ、子ども達の成長に関わる者としての重視な視点になるのです。
かつて、川口市の小・中・高校を卒業し、ピッチャーとして期待されて巨人軍に入団した斉藤雅樹は、プレッシャーに弱く、ここぞというところで力を発揮することができなかったそうです。周囲からは「ノミの心臓」と言われ、監督からも「先発に向かない」と判断され、野手への転向案も出たほどだったそうです。ところが、新たに就任した藤田元司監督は、「マウンドに上がるのが怖い」と言う斉藤に対して、「お前は気が弱いんじゃない、気が優しいんだ」「投手というのは臆病でないといけないんだ。怖いというのは、お前が色々考えている証拠だ」「なぜその性格を武器にしないのか」などと諭しながら先発で起用し続けたそうです。
元々「ダメな子」などはいないと思います。ダメにしているのは周囲の大人の接し方なのかもしれません。まずはその子の理解を深めることを大切にしましょう。歩みは一人一人違うものです。
すべての子どもが素晴らしい力をもって生まれてきたと思っています。その素晴らしさを共に探し、磨いていくことこそ、子どもと向き合っていく上で、周囲の大人が大切にしなければいけない心なのだと思います。
「やる気」について(2)
「やる気」について
NHKの番組で、かつて子どもやる気に関する実験をしたことがあります。それは、子どもたちに絵を描かせるとき、次の3つのグループに分けて観察するというものです。
A:過程を褒める:絵を描くとき、良かった点や工夫した点をほめる。
B:ご褒美をあげる:絵を描き終わったときに、お菓子やお小遣いをあげる。
C:何もしない:子どもが絵を描いているときも、書き終わってからも何もしない。
実験の結果は、AとBのグループはやる気を見せたそうです。特にスタート時では、Bのグループの子どもたちが高い意欲を見せていました。
Cのグループの子どもたちは、飽きてしまう子や丁寧に描くことをやめてしまう子ばかりとなりました。しまいにけんかなどのトラブルも起こし始めました。
Bのグループでも、次第にCグループと同じような子どもが増えていきました。結果、Aのグループの子どもたちは、やる気を継続させ、根気よく最後まで取り組むことができました。中には、続けて描きたいとねだる子も現れるほど…。
大切なのは、絵を描かせることではなく、絵を描く心を育てることです。換言すれば、絵を描きたいという「やる気」を育てることです。
「学力向上」を考える上でも、結果である点数ばかりに着目するのではなく、目では見えづらい子どもたちの内面にある「やる気」に着目することが大切です。スポーツ面で頑張らせることなども一緒だと思います。
子どもたちへの教育を進めていく上では、目先の結果や他からの評価ばかりに目を奪われないようにしなければなりません。