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若手・中堅・管理職、これからの教育・学校を支えるみなさんに伝えたいこと。

【生徒指導・健全育成】見せかけの指導、一方的な指導にならないように

※指導は子どもを成長させるための行為、自己指導力を育てるのが生徒指導です

ただでさえ多忙な教師の毎日~ストレスを感じる突然の対応

 学校現場は多忙です。先生は授業以外にもやることが沢山あります。「気づけば朝から夕方まで、トイレに行っていなかった!」というような日々を過ごしています。授業や授業準備などのルーティンでできる仕事だけならまだしも、突然入ってくる調査への対応や出張など多忙を極めています。中でも、児童生徒の問題行動に対する指導や保護者への対応などは、多忙感だけでなく、とてもストレスを感じるものです。

 教師も人間としての感情があります。体力や精神面の好不調があったり、子育てや介護、病気への対応など、個人としての生活上においても様々な事柄を背負っていたりしているものです。辛いことや大変なことがあっても、教師としてのプライドをもって歯を食いしばって頑張っている先生がほとんどだと思います。

 児童生徒が、何度指導してもできないことや、気に入らないことに怒りを発する先生もいます。問題を起こした児童生徒に対して、仕事が進まないことへのストレスや、邪魔をされたと腹立たしく感じることもあります。日頃からトラブルを起こし、手を焼いている児童生徒には、うんざりする気持ちを持つことさえあります。
 しかし、その感情をそのままぶつけ、児童生徒の心を委縮させたり、怖さだけでいうことを聞かせたりしようとすることは、教育本来の目的である子どもの育成(できるようになる力を育てること)につながらない危険性があります。

教師の都合による一方的な指導(見せかけの指導)に走らないように

 そのような中、気を付けなければならないのが、一つ一つの児童生徒への指導(言動)が、本当の「教育的な指導」になっているかということです。例えば、怒鳴りつけて終わり、謝らせて終わり、反省文を書かせて終わり、親に連絡して終わり…。それぞれの行為を否定はしませんが、教師の都合による、教師の自己満足の指導に終わっていないか気をつけなければなりません。
 忙しさから、手短に指導を終えたいのは人情です。しかし、本当にその児童・生徒の成長を願った行為だったか、児童生徒の問題行動の向こう側にある心や、背景にある事情を理解しようとしたか。教師の指導を保護者が聞いたらどう感じるか。児童・生徒、保護者の立場で慮ることが重要です。「できない」のか「しようとしないのか」の差はとても大きいものです。「できない」のならなぜできないのかを一緒に考え、とものその力をつけることを大切にすることこそ指導と言えます。

 どのような教師の働きかけも、それは児童生徒を成長させるためのものでなければなりません。力のある教師は、指導すればするほど、児童生徒や保護者から信頼されるようになっていきます。反対に、指導すればするほど児童生徒の心が離れていく先生がいるのは何故でしょう。同じ言葉で同じように指導したのに、感謝される先生と反感を買う先生がいるのは何故でしょう。保護者に連絡することは、言いつけて懲らしめるためですか。だとしたら、児童・生徒の心は離れるばかりではないでしょうか。保護者に連絡するのは、ともに育てるためでなければなりません。

「生徒指導は面倒くさくて時間のかかるものです。最初からそう覚悟して丁寧に取り組むこと。」「教師の都合で結論を急ぐと失敗する」「子どもの後ろに保護者がいることを忘れないこと。」先輩教師の言葉です。

 生徒指導とは、自己指導能力を育むものであり、内面から行動を変容させるものです。教師の型にはめる行為ではありません。教師の言うことを聞かせる行為でもありません。その児童生徒の良い面に光をあてて、根気強く時間をかけて育て、見届けていきましょう。変化は小さなところから起きていくはずです。

心のコップに水を注ぎ続ける

 かつてある本の中で、「児童生徒は心のコップを持っている。満ち足りている子は人に優しく進んで善行もできる。反面、コップが空の子は、水を注いであげなければならない。」というようなことが書いてありました。水とは、自己有用感や自己肯定感です。
 「自己有用感」とは、反対に言えば「自己無用感」です。自分は必要とされない存在だというような思いです。「自己肯定感」とは、反対に言えば「自己否定感」です。自分は何をやっても駄目だというような思いです。 
 ですから、自己有用感や自己肯定感の低い児童生徒に、さも「あなたは邪魔な存在だ」とか「何をやってもあなたはダメな人間だ」と(教師が思っていると)感じさせるような言動は、決してしてはいけないのです。

 どのような児童生徒も必要な存在であり、優れた力を持っている。それを保護者と一緒に見つけ育てるのが、教師の大切な仕事です。手のかかる子ほど、支援が必要な存在だと思い、時間をかけて丁寧に育ててほしいと願っています。先生の一つ一つの行為や思いが、本物であったかどうかは、おそらく数年後、数十年後、大人になった時のその子の成長した姿として現れるでしょう。教師の真の思いに触れた子は、直接感謝を言うことがなくても、自分のされたことやその温もりみたいなものを他の人につなげていくのではないでしょうか。教師の仕事のヤリガイとはそのようなものではないでしょうか。子どもたちからの素敵なギフトは忘れたころに届く。そう信じています。

 

   【2020.6.28公開記事のリライト】

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