次代を担うみなさんへ  

若手・中堅・管理職、これからの教育・学校を支えるみなさんに伝えたいこと。

安定して向上していく学校づくりを目指して(成功循環モデル)

(1)守りから攻めの学校運営

 苦情が多い、トラブルが続けて起こる、心を病む教職員が次々に出てしまう…そんな危機的な状況にしたくない。穏やかな心で本来の教育活動に日々力を尽くすことができるようにしたいものだ。これは学校教育に関わる者全ての共通の願いだと思います。安定して向上していく学校づくりを目指すことは、これらの課題解決に即効性があるとは言えないかもしれませんが、時間をかけて好循環を生み出していくことで、働きがいのある学校づくりとなり、結果、多くの成果を生み出すことが可能となり、子どもたちからも、保護者・地域からも信頼される学校となっていくものと思います。

(2)成功循環モデル

よりよい結果を出したいと思ったら、よりよい関係づくりを大切にする。それが、ダニエル・キムの提唱した組織の「成功循環モデル」です。

 このモデルでは、成功する組織となっていくためには結果の質を求める前に、関係の質を高めることが重要だと説いています。

関係の質が良好な状況にあることで、組織を構成するメンバーの思考の質が高まる。思考の質が高まると、モチベーションが上がり前向きに考えるようになり行動の質が高まる。行動の質が高まると、積極的に協力しながら行動するようになり結果の質が高まる。結果の質を高めることができたことで、さらに新たなチャレンジに向かっていく。

 

 結果を出したい時に、リーダーが着目すべき重要なテーマとして、構成メンバーの関係の質が良好な状況でとなっているか、また、どのようにすればより良くなるかということなのです。 関係の質の良好な組織では、向上していく好循環(グッドサイクル)が生まれ、継続して向上していくことが可能になります。好循環により、人と組織が育ち、結果として多くの成果を様々な面で達成し続けていくことが可能となります。

 反対に仕事の結果にばかり着目してしまうと構成メンバーの意欲を削減してしまうことが多くなります。結果を出さなかったことで、構成メンバーの関係の質の悪化(信頼関係の欠如)を招く恐れもあります。荒れる学校(学級)の多くで、大きな事故やトラブルの背景にこのような負のスパイラル(バッドサイクル)が存在していることが多いようです。

(3)グッドサイクル

①互いに尊重し、結果を認め、一緒に考える(「関係の質」の向上)
②気づきがあり、共有され、当事者意識を持つ(「思考の質」の向上)
③自発的・積極的にチャレンジ・行動する(「行動の質」の向上)
④成果が出てくる(「結果の質」の向上)
⑤信頼関係が高まる(さらなる「関係の質」の向上)
⑥もっと良いアイデアが生まれる(さらなる「思考の質」の向上)といった、グッドサイクルがぐるんぐるんと回り続けていくようになります。

(4)バッドサイクル

例えば、

①成果・業績が上がらない(「結果の質」のよくない状況)
②対立が生じ、押し付け、命令・指示が増える(「関係の質」の悪化)
③創造的思考がなくなる、受け身で聞くだけ(「思考の質」の悪化)
④自発的・積極的に行動しない(「行動の質」の悪化)
⑤さらに成果が上がらない(「結果の質」のさらなる悪化)
⑥関係がより悪化する、責任のなすり合いや自己防衛に傾く(「関係の質」がさらに悪化する)

(5)問われるリーダーとメンバーの関係性

 グッドサイクルを構築していくためには、時間がかかります。特にリーダー(管理職)の意識と力量・人柄による所は大きいです。同時に構成メンバーも同じ方向を見て、目指すべき方向にベクトルを合わせていかないと、なかなかグッドサイクルになっていかないものです。結果だけを求めるリーダーとともに、自分さえよければというメンバーがいるとなかなか軌道にのりません。また、事故(教職員事故など)が起きるとサイクルが止まったり、負のスパイラルに陥ったりします。

 このサイクルは、職員室だけでなく、学年経営、学級経営、部活動指導などにおいても、向上のヒントになるものです。よりよい学級づくり、強い学年づくりの参考にしてみてください。部活動で言えば、目指すは単に勝つことではなく、勝ち続けることのできる選手・チームづくりを目指すといったところです。

 

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「生徒指導は面倒臭くて時間がかかるもの」①

 
「父ちゃんの愛情弁当」より
*弁当持参が当たり前だった頃の大阪。毎日昼休みに息子のお弁当を届けにくる父子家庭のお父さんの話。短縮授業になったことを知らなかった父親が、職員室に怒鳴り込んでくる…。
《Cのお父さんは、毎日昼休みに、校門までCに弁当を渡しに来られます。その日も、Cは校門前でいつものようにお父さんを待っていました。お父さんが学校に着いたとき、いつもは誰もいない校庭で、沢山の生徒たちが遊んでいました。
「なんでみんなもう遊んでんねん?」「きょうは短縮や。あの子らは、もう食べ終わってん」その日は短縮授業のために、昼食時間がいつもより20分早くなっていたのです。「ほんなら、おまえだけ飯をお預けやったんか。先生は、短縮やとなんで教えてくれへんかったんや!」
 お父さんの怒りは、そのまま職員室に持ち込まれました。「俺の子どもを飢え死にさせる気か!」「学校の時間をコロコロ変えたら、親は分からんやろ!」「友達と一緒に弁当食べられへんで、いじめられたらどうしてくれんねん!」など、お父ちゃんの怒りは絶頂に達していました。担任は「行事予定表を配ってあるんやから、事前に短縮の日は分かるはずです。食事が20分程度遅れたぐらいで、何でそんなに言われるのか分かりません!」と主張し、お父さんとの会話は平行線のままでした。
 昼休みも終わり、お父さんは仕事場に戻らなくてはならず、怒ったまま帰ってしまわれました。結局、お決まりのコースで、その苦情は教頭である私が引き受けることになりました》(『普通の教師が”普通”に生きる学校~モンスター・ペアレント論を超えて』小野田正利著(時事通信社)からの抜粋)
○担任は、プリントを配布すれば、読んでもらえてあたりまえと思っていたかもしれません。子どもが弁当を持ってこなかったという出来事に対して、それはその子や家庭の責任だと捉えたのかもしれません。
○それぞれの家庭には様々な都合があるものです。「弁当」の向こうにある家庭の事情や父親の思いを理解することができていれば、違った展開になったと思われます。それが無理だったとしても、「忘れ」の背景に少しでも思いを巡らすことができれば、もう少し違った暖かみのある対応ができたかもしれません。
○担任と父親の話し合いが平行線になってしまったのも、教師が、自分の対応(指導)の正当性を理屈で説明しているのに対して、父親は子どもに対する思いで怒りをぶつけているということです。教師は、理屈(理論)で考え、保護者は思い(感情)で考える傾向が強いものです。教師が、どんなに理を説いても、保護者は簡単に納得するものではありません。却って、ほとんどの場合火に油を注ぐことになってしまうのもこのためです。
○一般的に、保護者が学校に苦情を言ってくる発火点の多くは【自分の子が大切に扱われなかった、嫌な(悲しい)思いをさせられた、理不尽だ、可哀想だ】と感じるようなケースです。
〇教師が、正しいと思ってした指導も、その思いが伝わっていなければ、また、正しさを強調すればする程、親の怒りは高まっていくものです。わが子を思う親の一念を受け止めることも大切ではないでしょうか。
○子どもを指導する上での重要なポイントは、「目に見える事象の向こう側にこそ、大切なものがある」ということです。問題を起こす子の多くが、問題を抱え困っている子であることが多いものです。
○問題行動は、氷山の一角であり、水面下には多くの原因や背景があるものです。まずは、その子やその子の置かれた状況(環境等)の理解から始めることが求められます。
 
※かつて先輩教師から教えられました。「生徒指導は面倒臭くて時間がかかるものと思って丁寧に時間をかけて行うことが大切」であると。簡単に終わらせようとしたり、手を抜いたりすると、後日もっと大変になってしまうものです。結果、却って時間と労力が必要になってしまうものなのです。
 

子どもの心に火をともす

 
 

子どもの心に火をともす

『平凡な教師はただ話すだけ
 良い教師は説明する
 優れた教師はやって見せる
 偉大な教師は子どもの心に火をともす』
○イギリスの教育学者ウイリアム・アーサー・ワードの言葉です。「火」を「灯」とする訳もあります。「灯」とは「明かり」を意味します。
○教育を通じて、子どもの心に火をともすことができたならば、どんなに素晴らしいでしょう。教師も自身の心の中の「火」を大切にいましょう。
教育は単なる知識の伝達ではありません。「教育は100年の計」(「国家100年の計は教育にある」)とも言われます。逞しく未来を切り開いていく子どもたちが育っていける、そんな教育を目指したいものです。
不登校や自殺する児童生徒が増えていると報じられてす。一方で、心を病み離職していく教師も多くいます。学校も教育行政も社会総掛かりで、そんな教育環境を改善し、働き方を進め、教育の担い手を育てていくことを真剣に考える時です。
 
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子育てについて

子育てについて
一歳ほどになり、ようやく歩けるようになった子どもが転んだとき、あなたらならどうしますか? 
 抱きかかえて立たせる行為は、大人としての当然の優しさです。一方、自分で立ち上がるのを見守るという優しさもあります。転ぶ度に大人が立ち上がらせていると、自分で立ち上がろうとする力を育てることができず、大切な成長の機会を失うことになります。
 これは学校生活の中でも同様のことが沢山あります。子どもたちには、将来、予測不能の沢山の困難が待ち受ける社会に出ていく時がやってきます。学校教育を通して、自立した大人として逞しく生きていく力を身に付けてさせていく意識が大人(教職員、保護者など)の側に求められます。
 集団で生活していく上では、仲間と協力したり苦しいことを乗り越えていこうとする力が必要になります。時には、対人関係に悩んだり苦しい経験をしたりすることになります。そんな困難の一つ一つを大人が取り除いていては、自立する力は育っていきません。
 自分で立ち上がる力=「自立」する力を身に付けさせるために、大人が見守ることも大切であるという視点が必要なのです。
 
※気になること
 保護者から学校への厳しい要求が増えているように感じます。教師や学校側の対応が不適切なものも沢山存在しているとは思いますが、特に気になるのは、当初から、教師や学校を倒すべき相手(敵)と考え、攻撃する姿勢であるケースが増えてきていることです。
 「子どもの成長」という視点を抜きに、保護者が学校(時には教育委員会)に勝つまで(勝ったと実感するまで)戦うこと自体が目的になってしまっていることが多いようなのです。
 大切なのは、子どもを共に育てていこうとする協働姿勢です。そういう力をに身にけていく機会を失った子どもの成長への損失は、図り知ることができません。また、その結果は遠い将来になって表れてくるものだと思います。学校教育に携わっている者の多くが、多大な危惧を抱いています。
 
「子育てって、結局そういうことなのよ。
 子供に代わって闘うことじゃない。
 子供が自分で闘っていくための準備を
 整えてやることなの。」
 (ジェフリー・ディーヴァー『名言手帳』より)
 

今日的な生徒指導について(2)

今日的な生徒指導について(2)

 

○「生徒指導」と言うと、問題行動や不適切な言動をした児童生徒に対する指導と受け止められてきた傾向があります。このような何かが起きてから対応する生徒指導は「対処療法的な生徒指導」や「消極的な生徒指導」と言われます。
○かつての非行問題行動が多発し、多くの学校が荒れていた時代は、発生した問題への対応や、ルールを違反した児童生徒への指導など、対処療法的な指導に追われていたのも事実です。
○社会全般や家庭状況の多様化が進み、児童生徒の有する課題やその背景が多岐にわたり複雑化してきている今日の状況では、これまでのような対処療法的な生徒指導を中心に取り組んでいたのでは、安定した学級・学校づくりは難しくなってきています。
〇何かが起きてから対応するのではなく、何かが起きないように先手先手を打ち、積極的に児童生徒を健全に育成しようとする「積極的な生徒指導」が、安定して発展していく学級・学校づくりには重要となります。
〇「積極的な生徒指導」を進めていくことは、事件やトラブルが起きないようにするのですから、結果、無駄な労力に感じるかもしれませんが、対処療法的な生徒指導に比べ、負担感(時間的にも精神的にも)はるかに軽いものになっていきます。
○このような生徒指導の進め方は、学力向上(特に学力格差の問題)にも関わることであり、学校生活への不適応や不登校などの問題にも結びついています。
○各学校で行っている「生徒指導会議(生徒指導委員会・生徒指導部会)」も、各学級や学年などで発生したトラブルについての情報交換で終始していた面があります。積極的な生徒指導に力を入れている学校では、各学年や委員会と連携しながら、児童生徒をよりよく向上させるための戦略的な内容について検討・発信することを大切にしています。
○生徒指導と学習指導は、両輪の様なものです。授業スキルの上達とともに、児童生徒を理解し指導していく力も、優れた授業づくりには大切な土台となります。(学力を向上させている教師の多くが、児童生徒を健全に育成する力があり、優れた学級経営を行っている)
〇「先の先」を意識した生徒指導を全校で推進していくことで、トラブルの頻度が下がり、苦情が減るなどの効果もあります。信頼される学級・学校づくりという観点からも大切なのです。リスクが低減される分、攻めの学級・学校運営が可能となっていく面もあります。
○生徒指導を進める上で大切なのは、怒鳴りつけたり脅したりするような「力」に頼った指導をしないことです。謝らせたり反省させたりすれば終わりというような形式的な(教師の自己満足的な見せかけの)指導をしないことです。一部の力がある(と思っている)教師だけで指導しないことです。
○「積極的な生徒指導」で大切なのは、個人と集団を健全に育成していこうとする視点や発想です。授業をはじめ教育活動のあらゆる場面において、自己有用感や自己存在感などの自尊感情を育てていきましょう。
○生徒指導は全教職員で行うものです。児童生徒へのアプローチの仕方は違っても、共通理解・共通指導を大切にしましょう。
○児童生徒一人一人の人権を大切にすることは当然のことです。これからの生徒指導では、教育相談的な視点や特別支援教育に対する理解が益々重要となってきています。
○学校をあげて児童生徒一人一人を大切に育てていきましょう。そして保護者や地域の方々とともに協力しながら児童生徒を育てていきましょう。教育は、目の前の児童生徒を育てるとともに、その未来を育てる仕事です。

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今日的な生徒指導について(1)

今日的な生徒指導について(1)
○どこの学校でも例外なく、日々発生する子ども同士の様々なトラブルや保護者からの多様な要望(苦情)に対する対応に、程度の差はあれ少なからず追われているのではないでしょうか。
○例え子どもたち同士のトラブルだったとしても、対応を誤ると保護者と学校間の大きなトラブルに発展し、先生個人や学校全体が、その対応に追われていく事態に発展しかねない危険をはらんでいます。(ますます危険度は高くなっている!)
○一度、対立の構図になると、保護者は自分の言い分を通すために、上部権力に訴えることがあります。例えば、①管理職に訴える→②市町村の教育委員会に訴える→③都道府県の教育委員会に訴える→④文部科学省に訴える→⑤それでもダメならマスコミ、議員、弁護士、警察署、裁判所などとあらゆる力を行使しようとする傾向があります。
○最近この傾向がますます強くなってきているように感じます。
○このようなケースに出会う度に悲しく感じます。一つは、本来大切なのは、肝心な児童生徒本人であり、保護者と学校が協力して、その子の成長のために協力していく関係を築いていくことなのにも関われず、根本的にその関係性が崩れてしまうことです。
○保護者と学校(教師)との信頼関係が崩れた中での、その子の成長がどのようになっていくかを考えると、とても残念で悲しい気持ちになります。保護者が信頼していない人(人たち)の下で、子どもはスクスク健全に成長していくことができるのでしょうか。成長の遠回りをしてしまうのではないかと心配になるのです。良識ある学校では、そうならないようにするための努力はすると思いますが…。
○もう一つは、その対応に追われることによって、中長期的に学校全体の向上に影響を及ぼしていくということです。どこの学校においても、学校をよりよくするための積極的な取組は、どのようなことが起きても鈍化させないための努力はしていくと思います。しかし、トラブルが重度化、複雑化、長期化していくほど、影響が出ないわけにはいかなくなるのです。
○かつての保護者には、とてもその辺のことが分かっている方が多く、共に子どもを成長させていこうという面を大切にしていたと思います。若い先生等に対しても寛容さがあったように感じます。今日では、「自分が出てきたのだから学校側はけじめをつけろ」「形で示せ」などと要求することが増えたように感じます。
○教師や学校にとっても大切なのは、保護者とともに子どもを健全に成長させていこうとする姿勢を貫くことです。例え教師の指導に対して、保護者が苦情を言ってきたとしても、謙虚な姿勢で受け止め、子どもの成長や自らの指導の改善に結びつけていくようにしたいものです。
○「教師は理屈で話し、保護者は感情で話しをする」と言われますが、教師の理屈が正しいとしても、対応の当初から対立構図になってしまっては、却って失うことの方が多くなります。○保護者にそのような感情を持たせてしまったということも確かなことです。まずは、保護者の感情を受け止め、時間がかかっても、「子どもを一緒に育てていきましょう」という関係性の構築を目指して、粘り強く対応していくことが大切です。
 

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教師は授業で勝負する~よりよい授業づくりのために~

「教師は授業で勝負する」という言葉があります。教師としての力量を高め、子ども達をはじめ、同僚や保護者などからも信頼される存在となっていく上で、「授業力」を向上させていくことが重要な「柱」となります。
 教師として様々な経験を積みながら、守備範囲を広げ、様々な面で学年や学校の推進力となっていく力などを身につけていくことも、教師としての成長には大切ですが、「授業力の向上なくして、教師としての成長はない」のです。
 学校全体の教育力の向上、又は子どもたちの学力向上を考える上でも、一人一人の教師の授業力の向上に追うところが大きいと言えます。

【よりよい授業づくりのために】

○よりよい授業づくりのためには、授業精度を高めていくことが求められます。そのためには、授業の目標を達成するための三つの要素(授業の三要素)を押さえておく必要があります。
 *何を学ぶのか(What)
 *誰が学ぶのか(Who)
 *どのような方策を用いるのか(How)
○この三つの要素は、学習指導案の冒頭に記述する
 「教材観・題材観」
 「児童・生徒観」
 「指導観」
 のいわゆる「三観」と言われるものにあたります。
①「教材観・題材観」
 その授業を通して身につけさせたい力を明確にしていく。「教科書を教える」のではなく、教科書を通して学習していく内容を、学習指導要領・解説の内容を踏まえながら、理解を深めていく必要があります。
 授業をデザインする技術を高めるポイントとしては、単元を通して、話合い活動や体験活動を計画していくことも重要です。一単位時間毎に細切れの授業とならないように注意しましょう。
②「児童・生徒観」
 学習対象の児童生徒の実態を把握する。日頃の観察も大切ですが、これまでの学びの経験や現在どのような力を持っているのか(学力の三要素の分析)などを踏まえることや、客観的に実態をとらえることも重要であり、諸調査やアンケート等の結果などから多角的に把握します。
③「指導観」
 ②「児童・生徒観=育てるべき児童生徒の実態」を、①「教材観=教えるべき内容(身に付けさせたい力)」に近づけていくために、どのような授業を行っていくのかを具体的に検討します。
 引き出し=多くの方策(指導技術や授業スキル等)を持っていればいるほど、目標達成にふさわしい、精度の高い授業づくりが可能となります。
〇「授業の三要素」を理解することは、授業をデザインする基本的な要件となるばかりでなく、授業力を向上させていく上で重要な視点となります。

【児童生徒のための授業づくり】

○「よりよい授業づくりのために何をしますか?」と問われると、「教材研究に力を入れます」と多くの教師が答えます。この場合、教材の理解や吟味、どのような指導を行うのかということに意識が向くことが多いようです。
〇児童生徒の実態を十分に考慮せずに、教えるべき内容=教材観に偏って授業を進めると、一問一答式のような説明中心の講義式の授業になってしまう恐れがあります。このような授業では、「学習あって活動なし」となってしまう可能性があります。
○教師はどのような内容をどのように指導しようかと、授業をトップダウン的に構想することになりますが、実際の授業では、児童生徒がボトムアップ的に目標に向かって学習していくことになります。
トップダウン的な要素にばかり比重が高い授業計画の場合、児童生徒を置き去りにした授業になってしまうことになりかねません。陥りがちなのが、学力の高い児童生徒だけで、授業を進めてしまうようなケースです。これでは、教師のための授業づくりに終わってしまうでしょう。
○よりよい授業づくりのためには、児童生徒のボトムアップをどれだけより確かなものにできるかにかかっていのです。児童生徒の実態にあったより適切な方策(指導)を求めていかなければなりませんが、それ以前に、どれだけ児童生徒のことを理解しているのかということが重要になってくるのです。

【指導と評価の一体化とPDCAの検証改善サイクル】

○また「活動あって学習なし」という言葉もあります。例えば、話し合いなどの言語活動やICTを活用することなどの活動自体を目的にしてしまうと、活動はしているが目標に向けて高まっていかない授業になってしまうのです。
○このような授業にしないためにも、一単位時間の目標を一つ(多くても二つ)に絞り、目標を明確にした上で、達成するための方策を検討していくことが必要です。方策(指導)ありきではないということです。
○この授業では、どのような指導=アプローチ(導入、展開、資料、発問・指示、教材教具・その提示方法の工夫、ICTの活用、振り返り等)を通して、どのようにねらいに迫っていくのかを明確にする大変重要なところです。話合い活動等を計画する時も、このような流れの中で、どのような方法が適切なのかを考えていくことが必要です。
○新しい学習指導要領の全面実施にともない、改めて指導と評価の一体化の重要性が強調(※)されていますが、その前提として、目標と指導の一体化が必要なのです。
 ※国立教育研究所から「『指導と評価の一体化』のための学習評価に関する参考資料」が刊行されています。HPにも公開されています。
○授業力向上のためには、目標の明確化と目標・指導・評価の一体化を進めていくことが欠かせません。
○その上で、児童生徒の学習状況を確認しながら、自分自身の授業を改善させていくためのPDCAの検証サイクルを積み重ねていくことが、授業経験を積みながら授業力をつけていくために求められるのです。
 
 

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